このページは、【前編】私達の葬儀とお墓は、いつも…変わってゆく話。の続きとなります。
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この後編では、大きく分けて2つの項目に分けて紹介します。
- 江戸時代から現在までの葬送と墓制の移り変わり
- 葬式仏教と檀家制度
▼ 参考文献
葬送と墓制の移り変わり
前編では、各世代の有力者の葬送・墓制を紹介しましたが、江戸時代以降は民衆の葬送・墓制を紹介します。
特徴として、財力のある町民や村民が、これまでの有力者のように葬送へお金をかけるようになります。
江戸時代の庶民の葬送と墓制
神輿のような葬式
1600年代の始めには、一部の町民(商人や富豪農民)でも派手な葬送が都市部で執り行われていました。
派手な葬儀とは…集団が列を組み、様々な仏具や贈答品を持ちながら、まるでお祭りの神輿のように町中を練り歩く葬列の事です。
明治時代までの葬式は…死者を墓地へ送る行為が葬儀の目的です。
町奉行所からも、派手な葬送を控えるよう規制をかけるほどでしたが、白昼堂々と見せびらかす為の葬列や会葬者への接待など…町民の葬儀に対する熱い思いが史料に残されています。
そして、町だけでなく村でも同様に、派手な葬送が行われていた史料が残されています。
葬儀屋の原点…葬具業者の誕生
現在の葬儀業者とは異なり、当時は輿屋[こしや]や棺屋[かんや]と呼ばれ、輿や棺、提灯を作って喪家へ販売する葬具業者でした。
また、輿[こし]や贈答品を持ち運ぶ為のスタッフを、現場へ派遣する人材派遣業者もいました。
その2つの業者が互いを兼ね合いだし、やがて…葬儀の進行や故人の搬送、式場の運営など…トータルで葬儀を請け負う、現在の葬儀業者が誕生しました。
火葬と土葬は、どっちが流行ったのか?
一斉に土葬から火葬になった訳ではなく、地域によっては火葬が多く人気でした。
1700年代~1800年代の大坂の記録では、全体の9割が火葬だったようで、土葬より火葬のほうが高額でした。
一方…江戸の町では、人口が多いわりに火葬より土葬が多かったようです。これは、町民でも家や菩提寺を持たない人々も多く、亡くなった場合は、とりあえず…一定の場所へ雑に土葬されていたからです。
しかし、江戸後期では…庶民は火葬で、土葬は富裕層に人気となります。ちなみに、江戸初期から…葬法の選択は自由で、葬家に委ねられていました。
火葬施設を備えた寺院 火葬寺

都市部でも村でも火葬は行われていましたが、江戸では郊外に火葬寺が複数ヵ所あり多くの人々が荼毘にふされました。
明治になると、火葬場の運営は寺院から切り離され、民間や行政に譲渡されます。
現在…東京23区の火葬場には、町屋斎場、桐ヶ谷斎場、代々幡斎場、落合斎場などがありますが…それらの火葬場は火葬寺から業務を譲渡され民営企業によって運営されています。
墓石を建てる事ができた庶民

はじめは個人墓が多く建てられましたが、庶民の間で家意識も高まり、次第に夫婦墓や家族墓の割合が増していきました。
墓参りや先祖供養の例外
現在の日本では、先祖供養や墓参りをするのが当たり前の風潮ですが、江戸時代以前から墓参りは行われていました。
しかし…必ずしも国民全員が先祖供養に熱を入れていた訳でなく…必要以上に時間やお金をかけない上層階級もいたそうです。
これは、現在の…お金を持っていても…葬儀やお墓には金をかけない人々…に通じるものを感じます。
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明治から平成の葬送と墓制
時代と共に、明治から昭和後期まで盛り上がった葬送とお墓ですが、平成になると…その規模や費用などは急激に縮小していきます。
明治政府の政策
神道国教化政策
明治になると、政府は幕府と結びついた仏教勢力から特権を奪い、仏教的要素を排除する必要がありました。
その後、寺院では廃仏毀釈や寺受制度の廃止などで、大きな経営基盤を失い…現在では、小さな末寺[まつじ]の消滅がメディアに掲載されるようになりました。
墓地政策
明治初期から墓地や埋葬に関する施策を繰り返し、明治17年に【墓地及埋葬取締規約】が誕生しました。
この時から、葬儀の手続きに必要な死亡診断書や火葬許可書が発行されるようになります。また、仏教葬儀だけでなく神道式の葬儀も行われるようになりました。
公園墓地や公営火葬場の運営
当時の東京都市部の墓地は、ほとんどが寺院内だった為、神葬祭用の墓地を新しく整備する必要がありました。
ところが、途中で宗教との分離に傾き、宗教に関係なく利用できる共同墓地を作る事になりました。その墓地が、現在の青山霊園や雑司ケ谷霊園などなり、多磨霊園は、日本初の公園墓地となりました。
また、全国的に公営の火葬場が整備されていきます。23区内に限っては、民間企業がシェアを伸ばした事や江戸城周辺では埋火葬できないなど、当時の事情もあり、都が運営する火葬場としては瑞江火葬所の1ヵ所に留まっています。
葬儀は引き続き葬列がメインイベント
葬儀の内容は、江戸時代の内容をを引き継いでいます。
- 自宅で通夜
- 翌日…葬列で菩提寺(会場)まで移動
- 菩提寺(会場)で葬儀
- 菩提寺(会場)から親族の男性や葬儀スタッフが輿を担いで火葬寺(火葬場)へ移動
- 夜間に荼毘
- 翌日に収骨
このように、流れとしては…葬列が無ければ、現在のお葬式とあまり変わりません。
明治時代でも、重要視されていたのは葬列
明治に入っても、重要視されていたのは…葬列の華やかさです。さらに、食事や返礼品が足りないのは恥とされ…必要以上に注文するので、葬式は高額化していきました。当然、このような葬儀には批判が起こりましたが、庶民の葬儀に対する情熱が覚める事はありません。
大正時代に葬列が廃れる
しかし…大正期なると交通手段が発達し、物理的に葬列が進行できなくなったり、人々の間で長い距離を歩く習慣がなくなりました。
そして、霊級自動車も登場し徐々に距離の長い葬列が廃れてゆきます。
現在では、その名残として出棺の際に、短い距離ですが…ご遺族・ご親族、その他の会葬者が棺と共に連なって歩きます。
昭和になって、新たに金をかけるモノが登場
昭和になると、これまでの葬列に代わり自宅での告別式が流行りだし、通夜と共に…葬儀・告別式も自宅が会場となります。
今度は祭壇の豪華さがステータスに…
大正までは、葬列の規模が故人の経済力や喪家のステータスでしたが…今度は自宅に飾る祭壇の豪華さが、それに代わりました。
祭壇 = 輿 + ひな壇
今のお葬式で飾る木製の祭壇は、葬列で使っていた輿が、移動しなくなったモノです。その輿を乗せる為の壇が3段ほど組み合わさって、祭壇となっています。
初期の頃は白い布をかけた3段程度の白布祭壇でしたが、高度経済成長期には、豪華さを売りにした多様な祭壇が開発され、現在にいたります。
棺の場所は…?
現在…棺の位置は祭壇の前に安置され、いつでも故人の顔を見れますが、当時の棺は祭壇の奥に安置されていました。

現在でも、こだわりの強いお坊さんは…棺を祭壇の裏へ安置します。
平成になってからは、生花の祭壇がポピュラーです
平成になると、地域にもよりますが仏教色が無い生花の祭壇が一般的となってきます。
その理由は、デザイン性があり女性に人気がある事や使い回し感が無い事です。また、葬儀業者からすると祭壇を組み立てるのが面倒くさい…といった事もあります。
業者によっては、木製祭壇とのミックス型もあります。
お葬式の意義や目的も変わる
葬列を行っていた時では、「みんなで故人を家から火葬場(墓地)まで送る…」ことが葬儀の目的でした。
しかし…葬列が無くなると、葬儀会場で葬儀を行うので、その目的は…故人とお別れをする為…や、滅多に合わない親族が集まる機会…として変化しました。
昭和後期、平成から薄葬傾向に…
バブル崩壊や少子高齢化により、葬儀自体への価値観が変わってきます。
人を必要以上に招かない【家族葬】が人気となり、やがて…通夜や葬儀などの儀礼を省略した【1日葬】や【直葬】も増え、都市部では…それらが一般化しました。
また、葬儀費用が高額にならないよう、自治体によってリミットを授けている場合もあります。
オープンからクローズへ
かつては…一部の富裕層が民衆に見せびらかす為の葬儀だったり、少しでも見栄を張りたい…という人々も多かったのですが、今は…「どうやって知らせないか…?」に気を遣う方々のほうが多くなってきました。
そして、今の現状は…?
都市部では、「お葬式といえば…通夜と葬儀の2日間でしょ?」という風習は過去のものとなり、1日だけの葬儀や祭壇を飾らない葬儀が当たり前のようになっています。
また、お墓に関しては…大きな石塔を使わず、オシャレな位牌堂や永代供養墓もポピュラーになっています。
その理由を、まとめると…下記の通りです。
- 都市部に移住した住民は、菩提寺を持たない事が多いので、自由な葬儀やお墓が選択できる事
- 葬式・墓への価値観が変わった事
- 葬儀・墓石業者がインターネットを通じ、様々な形態の葬儀や墓プランを販売した事
このように2000年頃まで閉鎖的だった葬儀の世界が、インターネットの普及によりオープン化され、色々な選択肢を持つことができるようになりました。
宗教的には…菩提寺を持たないことによって、葬儀や墓の制限が無くなるので、選択の幅が増える要因になりました。
まもなく、平成も終わろうとしていますが、次の世代でも…生者によって葬送・墓制が変化していくでしょう。
特に、遁世僧によって作られた葬儀システム(葬式仏教)は、破綻する可能性が高く…一回りして縄文時代のように家族や一族で故人を送る葬儀のカタチが普及するのではないでしょうか。
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葬式仏教と檀家制度
お葬式といえば…お坊さんが付きものですが「なぜ…お葬式=お坊さんなのか?」を紹介します。
現在…檀家制度はありませんが、檀家の葬儀には菩提寺の僧侶を必ず呼ぶ…など、檀家[だんか]と菩提寺[ぼだいじ]の関係は現在でも続いています。
檀家制度とは?
江戸時代では…幕府の宗教政策によって結婚や引越しなど…自分の戸籍を証明する為には、必ず寺院が発行する戸籍証明書が必要でした。
それは、住民の中にキリスト教信者や邪教に属する信者が混じっていないか? 確認する為です。
住民は戸籍がないと、生活上いろいろと不便があるので、住まいに近い寺院と契約し、戸籍を証明してもらう必要がありました。
その契約とは、葬式や法事を行う際には、僧侶として必ず招く事です。
ですので…住民が普通に暮らしてゆくには、寺院を見つけ契約し仏教徒になる必要がありました。
その際…契約相手となる寺は菩提寺[ぼだいじ]となり、住民は菩提寺の檀家[だんか]という関係になります。この半強制的な縛りが檀家制度となります。
檀家制度が始まった理由
それは、キリスト教の布教者と信徒を根絶し、監視しつづける為でした。
豊臣秀吉の時代から、国防の為…キリスト教を制限していましたが、決定的な出来事は島原の乱でした。
百姓一揆にキリシタンが加わった島原の乱は、多数の犠牲者をだし歴史上最大の一揆となりました。その後…幕府は、対外政策として鎖国を強化し、対内政策としては、大名や農民問わずキリスト教徒をすべて仏教徒へ改宗させました。【宗門改】
また、幕府は…住民が仏教徒であることの証明を、各地の寺院に請け負わせました。【寺請制度】
その際、幕府が直接…各地の寺院を管理したわけではなく、はじめに各宗派の代表寺院を本山[ほんざん]とし、その本山に各地域の寺院を管理させました。
地域の寺院は末寺[まつじ]と呼ばれ、末寺をどこかの本山に組み込み、本山に末寺を管理させる制度を本末制度[ほんまつせいど]と言います。
宗門人別改帳 しゅうもんにんべつあらためちょう |
江戸時代の住民票+契約している寺院が書いてある書類 |
寺請証文 てらうけしょうもん |
寺院が発行する宗門人別改帳の証明書 |
菩提寺 ぼだいじ |
檀家が仏事の際に必ず依頼する寺院のこと |
檀家 だんか |
菩提寺と契約している住民のこと |
寺請制度 てらうけせいど |
幕府が権限を寺院に与え、檀家に対して証明書を発行できる制度 |
宗門改 しゅうもんあらため |
キリスト教徒などを、すべて仏教徒へ改宗させる宗教政策 |
本末制度 ほんまつせいど |
幕府の宗教政策で、各宗派の代表寺院を本山とし、各地の小さな寺院(末寺)を管理させる制度。 |
葬式仏教と揶揄される由縁
葬式仏教とは…僧侶が仏教の教えを説かず、葬式や墓地運営に精を出している…現代の仏教界を批判して使われる言葉です。
葬式仏教の原因となったのは…寺請制度で特権を得た一部の僧侶です。
言うことを聞かない檀家に対し証文を発行しなかったり葬儀を遅らせるなど…嫌がらせ行為を行いました。また、貧しい檀家に対しても正月や盆、彼岸に、蕎麦や粟を寺院に付け届けさせ、あぐらをかく僧侶もいました。
時代は進みましたが、江戸時代のような行いを続ける一部の僧侶がおり、世間では葬式仏教と呼ばれています。
僧侶が檀家に対し戒名を付ける理由
■ 名馬 テンポイントの戒名
よく葬儀では…仏の弟子となるから戒名が必要だ…と言われ、院号や信士など…戒名のランクを気にする人もいるでしょう。
その…戒名を付ける事を定着させたのが、御条目宗門檀那請合之掟[ごじょうもく・しゅうもんだんなうけあい・のおきて]です。
この制度は、寺院が安定的な収入を得られるよう捏造された偽作で、あたかも幕府が作った法度かのように…民衆へ流布させました。その内容のなかに、戒名を授ける…という項目があり、その他にも寺院にとって都合のよい内容が定められていました。
こうして、今では「死んだ人の、新しい名前」として戒名(法名)は定着し、意味は解らないけど…必ず授からなくてはいけないモノ…として考えている方々が大在いらっしゃいます。
よくある戒名のトラブル
また…よくあるトラブルが、菩提寺以外の僧侶から安い金額で戒名をもらい、菩提寺の墓に納骨しようとすると…菩提寺の住職が「新しい戒名を付けなおさないと納骨しない…」と言いだします。
結局…ご遺族は戒名料の2重払いとなって、大きな損失となります。
既に…気付いている方も大勢いらっしゃいますが、戒名料とは寺院を存続させる為の寄付のようなものです。それでも檀家として、菩提寺の手助けになれば…と考えていらっしゃる方もいるので、多くの末寺が存続しています。
葬式仏教は続くのか…?
遁世僧[とんせいそう]が開拓し、信徒を増やす事ができた葬式仏教ですが…そろそろ、江戸時代に優遇されていた貯金が底を突こうとしています。
約75,000の寺院のうち、約20,000は住職が居ない無住寺院だそうです。そして、その状況を解決できる見込みはありません。
社会の変化に対応できず無住化する寺院は、さらに増加します。社会の変化とは、仏教の力で…どうにかできるレベルではなく、人口が減り続け都市部に集中する事が問題となっています。
特に信仰心が強い地方では寺院の周りから人(檀家)がいなくなっています。都市部では、あえて…檀家にならず無宗教の状態で、葬儀や墓を希望する方々が増えています。
やがて残るのは、清水寺や善光寺、浅草寺など…祈祷寺[きとうでら]と呼ばれる寺院となり、檀家からのお布施が頼りとなる回向寺[えこうでら]は、地方から徐々に消えていくでしょう。
長い歴史から見ると・・・葬式仏教の需要がなくなり、お坊さんのいない葬儀が一般的になる日も、そう遠い未来では…なさそうです。